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4月, 2019の投稿を表示しています

70周年記念(1)「~恵みを受け、恵みを渡す~」詩篇78:1~8

1948年、二人の宣教師が四日市に上陸します。フィリップ・フォックスウェル宣教師、ジョン・M・L・ヤング宣教師。両宣教師の働きにより、いくつかの家庭集会が行われましたが、1949年4月3日に伊藤勢都子姉宅で聖日礼拝が開始。四日市キリスト教会の最初の礼拝にして、日本長老教会の最初の礼拝です。戦後間もなく、復興ままならない四日市にて、私たちの歩みは始まりました。  4月に聖日礼拝を開始、しかし秋には、宣教師二人が神学校設立のため東京へ移住します。日本長老教会(広く言えば日本の教会と言っても良いでしょう)にとって、この神学校設立は極めて重要な出来事。小畑進先生、藤田正先生、堀越暢治先生、山崎俊彦先生、そして私も、この神学校の卒業生です。とはいえ、四日市キリスト教会からすれば、大変なこと。教会が出来たばかりにも関わらず、いきなり牧師(宣教師)不在となります。両宣教師がいなくなり、神学校を卒業した小畑先生が赴任するまで、どれ程の苦境だったでしょうか。 記録には、「月三回は説教者が東京から来る。交通費、謝儀、宿泊費は教会が負担。それでも月三回説教者を迎えるのには、月に6千円程用意が必要。(蕎麦が一杯20円の時代。)会員の多くが女性、教会会計は常に赤字の連続であった」と記されています。今の私たちには想像することも難しい戦いがあったのではないかと思います。  この時代のことを振り返り、小畑先生が次のように記しています。「『車中でどうぞ。』と差し入れがありました。一つは水野さんの、もう一つは中川さんのでした。重い方を開けてみると、ボタ餅でした。大きな大きな!物資不足のころで、サツマイモが御馳走というときに、ホンモノの小豆のボタ餅、それも大きな大きな!「こんな僕のような者に」と涙がこぼれました。もう一つの方は、中川さんの差し入れです。こちらは軽い。開けてみました。サンドイッチでした。それが、一片一片、ジャム、バター、クリーム、チョコレートと色とりどりなのです。この心尽くし、手尽くしに参りました。こんなことから、『きっと、卒業後は四日市市の群れで恩返しのご奉仕を。』と願いました。」  大変な中献金をささげ、説教者を呼び、礼拝を守り続ける。ボタ餅やサンドイッチに込められた神学生への思い。私たちの先輩が、どれ程必死な思いで教会を建て上げようとし

イースター「キリストの復活~どうして死人の中に~」ルカ24:1~10

  人間とはどのような生き物か。答えは様々ありますが、答えの一つは「死ぬもの」、「死ぬ存在」です。 古今東西、哲学者、思想家、宗教家、偉人から一般の人、実に様々な人が人間について、死について論じてきましたが、人間は「死ぬ存在」であることは大前提 なのです。 形あるものは壊れる。命あるものは、必ず死ぬ。死といのちでは、百戦百勝で死が勝利する。もっと言えば、そもそも生きているということは、死に向かって進んでいること。不老不死を追い求めることはあっても、「もしかしたら、私は死なないかもしれない」と言い出す人はいないのです。 人が死ぬのは当然のこと、当たり前のこととして、私たちは生きています。  ところで、 聖書は「死」について、肉体の死だけでなく、霊的な死があることも教えています。 創造主から離れた人間は、肉体が死ぬようになっただけでなく、霊的にも死ぬ存在となった。 霊的な死とは、罪の悲惨の中、自分中心に生きることです。 悪を考え、実行してしまう。愛すべき人を愛せない。赦したいのに赦せない。怒りや憎しみを手放せない。止めたいと思う悪を止められない。良かれと思うこと、正しいと思うことをしても、結局は自分と周りの人を傷つけながら生きることになる。世界を見る時も、自分自身を見る時も、人間は霊的に死んでいることがよく分かります。   肉体の死という意味でも、霊的な死という意味でも、私たちは死が身近です。死に支配されている世界。死に服従している人間。 しかし、 この死の世界に、まことのいのちである方が来られたというのが、聖書の教える福音でした。  キリストの復活を祝う聖日、死の世界に、まことのいのちを持っておられる方、永遠のいのちを持っておられる方が来られたことの意味を皆で再確認したいと思います。  私たちは四週に渡って、キリストの受難について見てきました。先聖日、イエス様の死と埋葬を確認しました。 神の一人子が死なれ、埋葬された。死が当然の世界、死が支配する世界であれば、これで終わり。八方塞がり、万事休す。イエスの埋葬にて、聖書は終わるところ。しかし、続きがあるのです。死で終わらない。死が当然、死が支配する世界だと思い込んでいる私たちに、そうではないと教える聖書。  ル

レント「キリストの受難(4)~この方は、正しい方~」ルカ23:44~56

「人間臨終図鑑」という本があります。古今東西、様々な人々の死に際の記録を集めたものです。糖尿病と神経痛、皮膚病とノイローゼ、加えて胃潰瘍に悩まされていた文豪夏目漱石は、死の前日酷く苦しみ、自分の胸を開けると「早くここに水をぶっかけてくれ。死ぬと困るから」と言い、直後に意識を失ったと言われます。イギリスの政治家チャーチルは、最後に「私は随分たくさんのことをやってきたが、結局何も達成できなかった」と娘に語り、息を引き取ったと言われます。  教会音楽家のバッハは、枕元に妻を呼び、「私に音楽を聞かせておくれ。もはやその時だから、お別れは死の歌を歌っておくれ」と頼み、家族が讃美歌を歌うと、顔が穏やかになり、最後を迎えたとされます。  最後まで病に苦しみ続ける者。多くのことをなしてきたにもかかわらず、「結局何も達成できなかった」と呟く者。賛美歌を聞きながら、神を仰ぎ、穏やかに死んでいった者。三者三様、人間の死に方は様々と感じます。もし、死に方を選べるなら、病に苦しむことなく、虚しい心を抱いてでもなく、神を信頼し、穏やかな心で最後の時を迎えたいと、誰もが考えるでしょう。  ところで、イエス・キリストはどの様な最後を迎えたのか。歴史上最も残酷な刑とされる十字架に吊るされ、人々の嘲りを受けた主イエス、激しい痛みと渇きに悩まされた主イエスは、一体どの様な思いを抱いて死んでゆかれたのでしょうか。今日は、主イエスの死の瞬間を共に見てゆきたいと思います。  紀元30年頃、「ゴルゴダ」つまり「どくろ、骸骨」と呼ばれる丘で十字架にかけられた主イエスは、七つのことばを発せられました。所謂、十字架上の七つのことばです。私たちが読み進めるルカの福音書は合わせて三つ、第一のことば、第二のことば、そして第七のことばを記録しています。  七つのことばの第一は、ご自分を十字架に釘付けにした者たちの赦しを願う、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか分かっていないのです。」第二は、十字架上の犯罪人への救いの宣言で、「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」この二つは、先回確認しました。第三から第六までは、他の福音書に記されています。第三は、  ヨハネ19:26,27「…母に「女の方、

レント「キリストの受難(3)~罪人を赦し、生かす十字架の恵み~」ルカ23:32~43

現代では、世界中どこに行っても、キリスト教のシンボルが十字架であることを知らぬ人はいないと思われます。多くの人が、十字架と言えばキリスト教のしるし、今風に言えばロゴと考えています。女性にとって、十字架はちょっとオシャレなネックレスの一種でもあります。ですから、主イエスと弟子たちが生きていた時代、それが権力を保持するためローマ帝国が定めた処刑の一種であり、人間が考え出した最悪の殺人方法だったことを思い起こす人は、最早多くはないのでしょう。 囚人を裸にし、手足を釘づけにして、死ぬまで放置する。一気に殺さずじわじわと苦しめる拷問刑。ローマ広しと言えども、果たして一年に何人の者が十字架にかけられたことか。余りにも残酷な刑であったため、記録されることも稀であったとされる十字架の刑。その十字架で死んだイエスを救い主として礼拝することを、当時一般の人々はどう思っていたのでしょうか。 コリント第一1:23 「しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、」 ユダヤ人にとって救い主とは、ローマ帝国を倒し自分達をその支配から解放してくれる者であって、十字架刑の犠牲者ではありませんでした。他方、ギリシャ人ローマ人にとって、十字架刑で殺されたと言うことは、イエスが恥ずべき罪人であり、軽蔑されて当然の人物であると感じられたのです。 紀元200年頃に彫られたとされる壁の落書きが、今でもローマに残っています。そこに描かれているのは、十字架につけられたロバの頭をした人物に向かって祈りをささげる、一人の男の姿。そこには「この男は神を礼拝している」という文字も刻まれているそうです。当時一般の人々が、十字架につけられたイエスのことを、またイエスを救い主として礼拝するクリスチャンのことを、どう考えていたのかが良く分かります。 しかし、たとえユダヤ人が変に思っても、ギリシャローマの人々から馬鹿にされても、ルカを含め四つの福音書は、十字架の死と復活を主イエスの生涯における頂点、最も重大な出来事として描いているのです。それは、何故なのか。このことを考えながら、今日の箇所を共に読み進めてゆきたいと思います。 23:32,33「ほかにもふたりの