70周年記念(1)「~恵みを受け、恵みを渡す~」詩篇78:1~8
1948年、二人の宣教師が四日市に上陸します。フィリップ・フォックスウェル宣教師、ジョン・M・L・ヤング宣教師。両宣教師の働きにより、いくつかの家庭集会が行われましたが、1949年4月3日に伊藤勢都子姉宅で聖日礼拝が開始。四日市キリスト教会の最初の礼拝にして、日本長老教会の最初の礼拝です。戦後間もなく、復興ままならない四日市にて、私たちの歩みは始まりました。 4月に聖日礼拝を開始、しかし秋には、宣教師二人が神学校設立のため東京へ移住します。日本長老教会(広く言えば日本の教会と言っても良いでしょう)にとって、この神学校設立は極めて重要な出来事。小畑進先生、藤田正先生、堀越暢治先生、山崎俊彦先生、そして私も、この神学校の卒業生です。とはいえ、四日市キリスト教会からすれば、大変なこと。教会が出来たばかりにも関わらず、いきなり牧師(宣教師)不在となります。両宣教師がいなくなり、神学校を卒業した小畑先生が赴任するまで、どれ程の苦境だったでしょうか。 記録には、「月三回は説教者が東京から来る。交通費、謝儀、宿泊費は教会が負担。それでも月三回説教者を迎えるのには、月に6千円程用意が必要。(蕎麦が一杯20円の時代。)会員の多くが女性、教会会計は常に赤字の連続であった」と記されています。今の私たちには想像することも難しい戦いがあったのではないかと思います。 この時代のことを振り返り、小畑先生が次のように記しています。「『車中でどうぞ。』と差し入れがありました。一つは水野さんの、もう一つは中川さんのでした。重い方を開けてみると、ボタ餅でした。大きな大きな!物資不足のころで、サツマイモが御馳走というときに、ホンモノの小豆のボタ餅、それも大きな大きな!「こんな僕のような者に」と涙がこぼれました。もう一つの方は、中川さんの差し入れです。こちらは軽い。開けてみました。サンドイッチでした。それが、一片一片、ジャム、バター、クリーム、チョコレートと色とりどりなのです。この心尽くし、手尽くしに参りました。こんなことから、『きっと、卒業後は四日市市の群れで恩返しのご奉仕を。』と願いました。」 大変な中献金をささげ、説教者を呼び、礼拝を守り続ける。ボタ餅やサンドイッチに込められた神学生への思い。私たちの先輩が、どれ程必死な思いで教会を建て上げようとし...