70周年記念(7)「何一つ忘れるな」詩篇103:1~5


 今朝取り上げたのは詩篇103篇。私たちの教会の初代牧師小畑先生は詩篇について書いた「詩篇講録」という本のなかで、この詩篇について「詩篇の横綱、詩篇の最高峰のひとつ」と称賛しています。この本は先生が献げてくださり、教会の図書においてありますから、関心のある方は読んでみることお勧めします。

 さて、第103篇が詩篇の横綱とか最高峰の一つと言われるのは、分かりやすいこと、名言名句が多いこと、全体が賛美、頌栄で明るい調子であること等が理由と言われます。中でも冒頭の1,2節は昔から多くの人に親しまれてきました。私たちの教会の今年度の聖句でもあります。


 103:1、2「わがたましいよ【主】をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ【主】をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」


 ここで詩人は自分のたましいに向かって「何一つ忘れるな」と語っています。ところで、皆さんが普段「これは忘れてはならない」と考えているものは何でしょうか。奥さんの誕生日でしょうか。銀行の暗証番号でしょうか。恩師や友から受けた恩でしょうか。家族との大切な思い出でしょうか。人によって忘れてならないものは異なるでしょうが、共通しているのは私たちが忘れてはならないと感じているもの、それは人生において非常に大切なものだということです。

 それでは、この詩篇が「忘れてはならない」いや「何一つ忘れてはならない」と強調する程大切なものとは何でしょう。それは「主がよくしてくださったこと」でした。私たちクリスチャンにとって、主が良くしてくださったことを忘れないこと、思い起こすこと、ほめたたえることは、キリスト教信仰の生命線だというのです。代々の教会は主が良くしてくださったことを思い起こし、主を褒めたたえることで力を得、前進してきたのです。

 これまで70周年記念礼拝を一月に一回、計六回行ってきました。今朝が最終の礼拝となります。そこで今朝は、70年の間主なる神が私たちの教会に良くしてくださったことを思い起こすことから始めたいのです。とは言っても、主が良くしてくださったことは膨大で、ほんの一端しか紹介できないのが残念ですが、70年を三つの時代に分けて、大まかな流れを振り返ってみたいのです。

 最初は礼拝が開始された1949年から1962年までの13年間。ジョン・ヤング宣教師、F・フォックスウェル宣教師が四日市に来て、八王子の伊藤勢都子姉宅で礼拝が行われるようになってから、現在の室山に会堂が建設される直前までの時代です。

 この時代は、二人の宣教師が開拓した集会を初代牧師の小畑先生、二代目の藤田先生が引き継ぎ、教会の土台が据えられた時代でした。とは言え、二人の宣教師が神学校を創り、日本人牧師を育てることに方針転換。東京へと移ったため四日市教会は無牧となり、残された信徒たちは大変な苦労を経験することになります。

 当時の教会員は東洋紡、東亜坊など紡績工場で働く若い女性たちが多く、それを伊藤姉や水野民子姉が母親の様に見守るという女性中心の教会で、男性教会員は少なかったようです。当初は月に3回東京から神学生や宣教師が礼拝説教の奉仕に来ていましたが、その謝礼や交通費で教会会計は赤字続き。その為、交通費と謝礼を支給するのは神学生のみ、宣教師への謝礼はなく、交通費も自前だったという記録があります。

 しかし、この小さき群れをよく支えた一人の長老がいました。小林栄保長老、小林はつみ姉のご主人だった方です。小林長老は会社に勤めながら、礼拝を休んだ教会員のために説教の内容を手紙に書いて送ったり、会堂であった伊藤邸の修繕をしたり、教会の財務を担当したり、長老教会設立のための会議に出席するため東京に出かけたりと、八面六臂の活躍ぶり。その上、次第に東京から説教奉仕者が来られなくなると、殆どの礼拝説教を担当する等、教会の屋台骨を支えました。私は直接お会いしたことはありませんが、天国に行ったら是非お話をしてみたい兄弟の一人です。

 1956年ようやく小畑牧師が着任すると、教会も一息つき、日本基督長老教会設立に加わることになります。と言っても、四日市に東京の松の木、済美が丘。たった三教会による心細い様なスタートだったわけで、記録には「われら小さなからし種の様な群れ」とあります。

 「教会堂として開放していただいた伊藤邸までは、四日市交通支線の終点八王子駅からさらに川沿いの道を20分という奥の奥なので、周りにいるのは蛙とカラスのみ。それでウィークディには町に出て集会を持ちました。楠の東亜坊、中川原の東洋紡、幸町の平山邸など。平山邸の集会はベテランの集まりで、ここからは役員がそだちました。紡績の方は工員たちで、ピチピチした少女が巣立ちました。四日市教会に力が蓄えられ、土台が築かれた使徒時代でした。」と小畑先生は書いています。

 第二の時代は1963年から1999年まで。前年牧師となった堀越先生のもと会堂が建設され、堀越先生が退職するまでの36年間です。1963年、それまで何度か計画が立てられたものの実現に至らなかった会堂建設が実現し、伊藤邸から今の教育館の場所に教会が移転しました。

624日の礼拝でハガイ書1章を学び、一同礼拝後涙の内に祈り、会堂を建てようと決意する。」と記録にあります。わずかな教会員が乏しい経済の中からささげ、自らも資材を担いで坂道を上り、労苦を重ねて完成した教会堂でした。結婚して四日市を離れる女工の姉妹たちが、貴重な退職金をささげてくれたことも感謝であると、建設担当の草野長老が書き残しています。

 ここに新しい会堂を与えられ、もっとこの地域に伝道してゆく必要を感じた堀越先生は、地元の方の要望もあり、私費で幼稚園を建てることを決意しました。これが後に多くの実を結ぶことになります。めぐみの園から教会学校小学科、小学科から中学科、高校生会へと進む中で、子どもたちが信仰告白や洗礼に導かれる。親の中にも子どもをめぐみに入れたことをきっかけに聖書に触れ、洗礼へ導かれるという教会形成の太い幹ができました。今でも、教会員の70%はめぐみの園関係者が占めています。

 他にも、1966年にはHibaのスタッフの協力を得て高校生集会をスタートしたり、翌年には中学科専門のスタッフ山田瑛美先生を招いたりと、子どもたちを育てることに力が入れられた時代です。

 またこの時代の大きな出来事としては、現会堂の建設もあげられるでしょう。1963年に完成した会堂も1980年代には手狭になり、南に北にと建物を拡張しますが、それでも追いつきませんでした。私が四日市教会に来たのは会堂完成直後の1986年でしたが、来たばかりの頃、よく堀越先生から「冬なんかね会堂がいっぱいになり、そこにストーブの熱気で礼拝中酸欠状態になり気分が悪くなる人が出てね、春まで休ませてもらいますという申し出があって、これではいけないと思ったんだよ」と聞かされたものです。

 尤も現会堂の建設も容易なことではありませんでした。会計を担当していた山下次男長老が「最初土地建物合わせて5500万円で、それでも大変だと思っていたのに、最終的には規模の拡大で7000万円の工事となり、これでは毎年300万以上の赤字が出て教会が破産しないかと心配した。しかし、私の予想をはるかにこえて教会員がささげてくださり、必要が満たされことは本当に感謝でした。」と話してくれたこと記憶しています。

 しかし、今回改めて記録を調べてみて私が凄いなあと思ったのは、会堂建設とほぼ同じ時期、北四日市教会と鈴鹿教会の開拓に教会が取り組んでいることです。四日市教会から枝分かれした住吉集会が1979年に北四日市キリスト伝道教会となります。同じ年には鈴鹿教会開拓のための土地取得契約を結び、新会堂建設準備委員会も発足していました。会堂建設と二つの教会の開拓伝道。四日市教会が外に向かってグングン成長していった時代と感じます。

 他にも、めぐみの園の親子が七五三に神社にゆかず、命を創造した神に感謝をささげられるようにと願い始まった成長感謝礼拝。教会に和やかな交わりの場を提供したいと考えた教会員が始めたマルタの会。それまでの宣教師頼みの英会話教室から、四日市教会独自の英会話教室を設立し、地域への伝道を進めたいと考えスタートした英会話ミニストリーなど、今も継続する行事や働きが多く生まれた時代と言えるでしょう。

 最後は、2000年から今迄の19年間です。この20年間は「少子高齢化、人口減少」という日本社会の大きな変化を私たちの教会も受けて来た。そんな印象があります。

 しかし、この20年間も主は私たちに良くしてくださいました。人事の面では、川北栄子主事、石川望美主事、教会事務のために吉川茂郎主事、それに大竹護牧師、辻まき子主事、田村あかり主事、立石翼主事と、忠実で献身的な働き人が与えられました。英会話教室においても、アンドリュー主事、ゆり副主事、ナターニャ先生、ティナシェ先生、杉本啓子先生、大畑恵先生、富倉忠臣先生等、多種多彩なスタッフに恵まれたと感じています。

長期計画のもと、より多くの人を礼拝に招くために二部礼拝を導入することができましたし、子どもたちやユースの世代に対する伝道と教育を充実するため教育館を建設することもできました。

地域への伝道のために始められたゴスペルは地域への伝道にとどまらず、今や他の長老教会の伝道を助けるものへと成長しています。青年会主体の夏期伝道も定着してきました。2003年には四日市教会初となる宣教師派遣式を行い、川北栄子主事を世界宣教に送ることができましたし、片岡良明先生、伊藤京一先生以来となる四日市教会出身の献身者斎藤愛希信兄が牧師となり、5月の70周年記念礼拝で奉仕してくださったことも嬉しい限りです。

2011年の東日本大震災の際には、多くの方々の祈り、支援、協力があり、被災地の一つ石巻に何度もボランティアチームを送ることができました。それが一つの要因となって、仙台で長老教会の開拓伝道が開始されたことは、私たちの教会の歩みに大きな影響をもたらしたと感じています。

また、70歳以上の兄弟姉妹がおよそ90名という高齢化の波が押し寄せる中、病の方に仕えることを喜ぶ教会にという志をもって始まったケアジョイの働きが、現在はいずみサービスと代わり、礼拝送迎や高齢者・障碍者の方々の生活支援、精神的支援を行う奉仕者が与えられていることも感謝です。この様なあわれみのわざがこの地域にも、世界にも広げることができたらと願っていますし、それが必要な時代が来ていると思います。

 以上、四日市教会70年の歩みを三つの時代に分けてみてきましたが、70年の全体を通して、主が本当に良くして下さっと私が思うことが二つあります。

 ひとつは70年の歩みの中でただ三年、1951年と1954年と1966年を除き、主は私たちの教会に受洗者、信仰告白者を与え続けておられるという恵みです。尤も1951年と1954年は四日市教会が牧師不在期間の二年であり、牧師が定着した1956年から数えれば、受洗者なしの年は一年のみと言うことになります。主が私たちの教会にいかに良くして下さったか、どれ程私たちの教会に期待しておられるかが分かります。

 二つ目は、記念誌のための座談会で教会草創期のメンバーの方も言われたのですが、四日市教会は人材の宝庫、すばらしい賜物を持った方が大勢いるという恵みです。教会の歩みを知れば知るほど感じるのは賜物は勿論のこと、教会を愛し、教会に仕える思いを抱く兄弟姉妹の何と多いことかという感謝です。牧師としてこの様な兄弟姉妹と教会生活を共にできること送れることは、この上ない喜びです。

 最後になりますが、交読文で読みました詩篇136篇は、イスラエルの民が神殿における礼拝において、皆で声を合わせてあるいは交互に歌いかわしつつささげた大讃美です。神が創造した自然の恵みに感謝する。自分達の歴史を思い起こして神に感謝する。全26節の感謝、感謝、大感謝の詩篇です。

 私はこれをもとに、四日市教会70周年記念バージョン詩篇136篇を作ってみました。作っている内に感謝したいことが沢山出てきて困ってしまいました。何とか22節にまとめてみましたので、一度私が読んだ後、皆で声を合わせて読み、大讃美をささげたいと思います。先ずはお聞きください。


1 主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。主の恵みはとこしえまで。

2 神の神であられる方に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。

3 主の主であられる方に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。

4 70年間私たちの教会に良くしてくださった方に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。

5 初めに、二人の宣教師を送って下さった方に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。

6 無牧の時代、教会を守られた方に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。

7 教会に仕える牧師、主事を与えて下さった方に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。

8 教会を支える長老、執事を与えて下さった方に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。

9 教会を愛する兄弟姉妹を与えて下さった方に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。

10 めぐみの園、教会学校、アワナクラブとその奉仕者を与えて下さった方に感謝せよ。

主の恵みはとこしえまで。

11 英会話教室とその宣教師を与えて下さった方に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。

12 マルタの会とその奉仕者を与えてくださった方に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。

13 ゴスペルとそのメンバーを与えてくださった方に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。

14 私たちの教会を被災地支援のために用いて下さった方に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。

15 いずみサービスの働きを用いて下さる方に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。

16 ぶどうのいえ、ハーダンガー教室、YKKの働きを祝福される方に感謝せよ。

主の恵みはとこしえまで。

17 家長会、ナオミ会、ルツ会、青年会、高校生会。信仰の仲間を与えてくださった方に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。

18 地域会の交わりを与えてくださった方に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。

19 北四日市、鈴鹿、創愛。愛する教会を建て上げた方に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。

20 私たちのすべての罪を赦し、恵みとあわれみの冠を与えてくださる方に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。

21 私たちの弱さの内に働き、ご栄光を表してくださる方に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。

22 天の神に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。

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